スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

仏教で「恩」とは?


 どのようなご恩を、聖人から私たちは受けているのか、まず知ることが大切です。
ご恩を知らなければ、ご恩を感じ、報いることもできません。

「恩」という字は、「因を知る心」と書きます。
  私が今日、このように生きていられるのは一つの結果ですが、それには原因が
あったのです。両親や、学校の先生、友人から、どれだけ多くのご恩をいただいて
きたでしょうか。

「おかげさま」というお互いへの感謝を失った昨今の風潮には、危惧の念を抱きます。
学校や社会を呪い、殺して復讐を果たすといった身勝手な事件からは、悲観的な
未来しか思い描けません。

 親や兄弟、妻子、友だちなどの有情(命あるもの)からも、太陽や水、空気と
いった非情(心なきもの)にもまた、多大な恩を受けて生きているのが私たちです。
一人で成長したかのように思うのは、なんと愚かでしょうか。

 ことわざに、

「恩を知らぬは畜生にも劣る」

といいます。犬でも、一宿一飯の恩を忘れません。

 あらゆるものの恩を知り、恩を感じ、恩に報いるよう心がけるのは立派な人です。
身近なご恩に感謝しつつ、私たち浄土真宗門徒は、もっと大きなご恩を、親鸞聖人から
受けていると知らねばなりません。

 それを、『御文章』五帖目十一通(御正忌の章)から、詳しくお話しします。

蓮如上人が、報恩講(御正忌)の心構えを正されたお言葉です。

「抑、この御正忌のうちに参詣をいたし、志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、
聖人の御前に参らん人の中に於て、信心を獲得せしめたる人もあるべし、
また不信心の輩もあるべし。以ての外の大事なり。その故は信心を決定せずば、
今度の報土の往生は不定なり。されば不信の人も速に決定の心を取るべし。
人間は不定の境なり、極楽は常住の国なり。されば不定の人間に在らんよりも、
常住の極楽を願うべきものなり。されば、当流には信心の方をもって先とせられたる、
その故をよく知らずは徒事なり。急ぎて安心決定して、浄土の往生を願うべきなり。
 それ、人間に流布して、皆人の心得たる通は、何の分別もなく、口にただ称名
ばかりを称えたらば、極楽に往生すべきように思えり。それはおおきに覚束なき
次第なり。他力の信心を取るというも別の事にはあらず。『南無阿弥陀仏』の六の字
の意を、よく知りたるをもって信心決定すとはいうなり」

この蓮如上人のお言葉を通して、報恩講について学んでいきましょう☆



スポンサーサイト

☆報恩講☆


 「報恩講」は、親鸞聖人のご命日に当たる11月28日の、
  前後一ヶ月に開かれる法要です。

 「親鸞聖人のご恩に報いる集まり」のことで「御正忌」とも
  言われます。蓮如上人は

 「聖人のご恩を知らぬ者は、木や石と同様、心を持たぬ者である」
 と聞法を促され、「ただ酒・飯・茶なんどにて皆々退散」するのは
 「仏法の本意には然るべからざる次第なり」と教戒されています。


  私たちが真剣に仏法を聞き、親鸞聖人の教えの通りになること
 こそが、聖人が最も喜ばれ、受けしご厚恩に報いることになるの
 です。

  正しい親鸞聖人の教えを学び、真の報恩講とさせて頂きましょう☆
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。